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Dのねぐら


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太閤5:サルがゆく・7

下記の物語は、(株)コーエーが発売した「太閤立志伝V」(Windows版)のプレイ記録に基づいて綴られています

保存した画像と覚えている範囲内で綴っているため、内容が飛び飛びになっていることがあります
また、史実とは異なる行動を執れるため、主人公の性格も含めて多分にフィクションが含まれています


兼続と親密に

家臣団の増強を行った後、藤吉郎は余暇を利用して、上杉家の武将直江兼続の元へ通っていた

優秀な家臣が多ければ、大抵のことは自分でやらずとも済む
皆が主命を終えて戻ってくるまでの間、自由に過ごしていられるのだ

そして、1580年11月・・・

diary091206_1.jpg

直江兼続と、十分に親密な関係を築くことができたようだ

藤吉郎
「そう言えば、肝付兼続という男もおったのう・・・」

同名でも、すっかり忘れられていた兼続だった・・・


敵は、軍神

1581年4月、北陸地方の各城を攻略した藤吉郎軍団は東北地方へと進入した

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上杉謙信との初めての対決の場となる山形城

軍神健在とは言え、これまでにいくつもの上杉方の城を落としてきた藤吉郎軍団に、迷いはなかった
予め、城の防御度を削った上で、忍者衆に援軍を申し入れ、出陣

大名の居城であるだけに、有力な家臣も多い
さすがに、これまでの城攻めよりも抵抗が激しく、味方の損害もやや大きいようだった


しかし・・・

diary091206_3.jpg

攻撃を開始してからおよそ2週間後
ついに本丸の門が崩壊

謙信は逃走に成功
家臣を何名か捕らえたものの、その多くは登用を拒んだ。さすが、上杉家臣団と言うべきか・・・

藤吉郎
---戦乱の世はもう何年かすれば終わる。そうなれば、この者たちの力も必要となろう


藤吉郎には、いや、織田家に属する者たちには、既に信長の天下が見えていた
戦がなくなれば、力だけでは人心を引きつけることはできなくなる・・・藤吉郎はそう考え、登用を拒む者たちを解放したのだった


龍を追い込め

藤吉郎軍団が山形城を攻略した後、謙信はより北方の城へと居城を移し、反撃の構えを見せた
織田家の城へ向け、度々出陣してきたのだ

diary091206_4.jpg

攻撃に晒されている城の兵を救うため、上杉の軍団へ向けて出陣、野戦を仕掛けることもあった

上杉軍には、もはや充分に編成できるだけの兵力が残されていないようだった
藤吉郎軍団が援軍に駆けつければ、その兵力差から我先にと退却を始める始末

それでもなお反撃の手を緩めず、1581年10月、上杉軍は藤吉郎の居城、鮭延城を包囲
攻撃を開始した

diary091206_5.jpg

藤吉郎は鮭延城を陥落させた後、ここを上杉侵攻の新たな拠点とすべく、城の補修や増築などを行っていた

すでに家臣数十名を従えている藤吉郎にとって、小城を短期間で、強大な軍事拠点へと変貌させることなどは造作もないことだった

そこへ攻め入ってきた上杉軍。兵力は充分とは言えず、援軍のアテもない
対する藤吉郎方には、潤沢な兵力や鉄砲の蓄えがあった

謙信自ら攻め込んでこようとも、恐れることは、なかったのだ


上杉家を従えよ

鮭延城での防衛戦から1年と半年ほどが経過した1583年4月、奪取した城を守りながらの進撃に終止符が打たれた

藤吉郎
「・・・戦はこれまでに致しませぬか。義に厚い上杉の者たちをこれ以上失いたくはありませぬ。それは、貴方様も同じでございましょう。」


藤吉郎は自ら上杉謙信の居城へ赴き、織田家に従うよう促した
信長の天下が目前に迫っている中、これ以上の争いは無意味。むしろ、織田天下の下でその力を役立てるよう主張したのだ

diary091206_6.jpg

謙信は藤吉郎の説得を聞き入れ、上杉家は織田家に従属した

残る勢力は、関東の雄、北条家と、それに従属する結城家のみ
信長の野望は、いよいよ最終局面を迎えたのだった

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