太閤5:サルがゆく・7 太閤立志伝V 2009年12月06日 下記の物語は、(株)コーエーが発売した「太閤立志伝V」(Windows版)のプレイ記録に基づいて綴られています 保存した画像と覚えている範囲内で綴っているため、内容が飛び飛びになっていることがあります また、史実とは異なる行動を執れるため、主人公の性格も含めて多分にフィクションが含まれています 兼続と親密に 家臣団の増強を行った後、藤吉郎は余暇を利用して、上杉家の武将直江兼続の元へ通っていた 優秀な家臣が多ければ、大抵のことは自分でやらずとも済む 皆が主命を終えて戻ってくるまでの間、自由に過ごしていられるのだ そして、1580年11月・・・ 直江兼続と、十分に親密な関係を築くことができたようだ 藤吉郎 「そう言えば、肝付兼続という男もおったのう・・・」 同名でも、すっかり忘れられていた兼続だった・・・ 敵は、軍神 1581年4月、北陸地方の各城を攻略した藤吉郎軍団は東北地方へと進入した 上杉謙信との初めての対決の場となる山形城 軍神健在とは言え、これまでにいくつもの上杉方の城を落としてきた藤吉郎軍団に、迷いはなかった予め、城の防御度を削った上で、忍者衆に援軍を申し入れ、出陣 大名の居城であるだけに、有力な家臣も多い さすがに、これまでの城攻めよりも抵抗が激しく、味方の損害もやや大きいようだった しかし・・・ 攻撃を開始してからおよそ2週間後 ついに本丸の門が崩壊 謙信は逃走に成功 家臣を何名か捕らえたものの、その多くは登用を拒んだ。さすが、上杉家臣団と言うべきか・・・ 藤吉郎 ---戦乱の世はもう何年かすれば終わる。そうなれば、この者たちの力も必要となろう 藤吉郎には、いや、織田家に属する者たちには、既に信長の天下が見えていた 戦がなくなれば、力だけでは人心を引きつけることはできなくなる・・・藤吉郎はそう考え、登用を拒む者たちを解放したのだった 龍を追い込め 藤吉郎軍団が山形城を攻略した後、謙信はより北方の城へと居城を移し、反撃の構えを見せた 織田家の城へ向け、度々出陣してきたのだ 攻撃に晒されている城の兵を救うため、上杉の軍団へ向けて出陣、野戦を仕掛けることもあった 上杉軍には、もはや充分に編成できるだけの兵力が残されていないようだった 藤吉郎軍団が援軍に駆けつければ、その兵力差から我先にと退却を始める始末 それでもなお反撃の手を緩めず、1581年10月、上杉軍は藤吉郎の居城、鮭延城を包囲 攻撃を開始した 藤吉郎は鮭延城を陥落させた後、ここを上杉侵攻の新たな拠点とすべく、城の補修や増築などを行っていた すでに家臣数十名を従えている藤吉郎にとって、小城を短期間で、強大な軍事拠点へと変貌させることなどは造作もないことだった そこへ攻め入ってきた上杉軍。兵力は充分とは言えず、援軍のアテもない 対する藤吉郎方には、潤沢な兵力や鉄砲の蓄えがあった 謙信自ら攻め込んでこようとも、恐れることは、なかったのだ 上杉家を従えよ 鮭延城での防衛戦から1年と半年ほどが経過した1583年4月、奪取した城を守りながらの進撃に終止符が打たれた 藤吉郎 「・・・戦はこれまでに致しませぬか。義に厚い上杉の者たちをこれ以上失いたくはありませぬ。それは、貴方様も同じでございましょう。」 藤吉郎は自ら上杉謙信の居城へ赴き、織田家に従うよう促した 信長の天下が目前に迫っている中、これ以上の争いは無意味。むしろ、織田天下の下でその力を役立てるよう主張したのだ 謙信は藤吉郎の説得を聞き入れ、上杉家は織田家に従属した 残る勢力は、関東の雄、北条家と、それに従属する結城家のみ 信長の野望は、いよいよ最終局面を迎えたのだった Amazon.co.jp ウィジェット Amazon.co.jp ウィジェット Amazon.co.jp ウィジェット[0回]