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Dのねぐら


ゲーム関連の話題、レビュー・交流など

太閤5:サルがゆく・6

下記の物語は、(株)コーエーが発売した「太閤立志伝V」(Windows版)のプレイ記録に基づいて綴られています

保存した画像と覚えている範囲内で綴っているため、内容が飛び飛びになっていることがあります
また、史実とは異なる行動を執れるため、主人公の性格も含めて多分にフィクションが含まれています


藤吉郎の副業

1571年6月、藤吉郎は自宅に診療所を開いた

何者かから襲撃を受けた際の備えとして医術を学んでいたのだが、修行を続けている内に、人のために役立てたいと考えるようになったのだ

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診療所を開いた日に、佐々成政がやって来た。長らく藤吉郎と張り合ってきた男だが、さすがに診療所まで開かれるとは思いも寄らなかったようだ

額に手をやり、ため息をつく成政。そこへ、2人のやり取りを見ていたねねが口を挟んだ

ねね
「成政さま、何かお薬を処方致しましょうか?」


藤吉郎はねねがとぼけたのかと思ったが、どうもそうではなかったらしい。一方の成政はと言えば、これはもう笑うしかなかった

ふと漏らした嫌みの言葉に真顔で返されてしまっては・・・

何はともあれ、ねねのお陰でこの場が和んだことは確かだった


藤吉郎、城主となる

1572年5月、藤吉郎はついに城主に任命される

阿波国の洲本城に赴任した藤吉郎は早速、評定を開いた

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これまでとの大きな違いは・・・

○ 己の望むときに評定が開け、家臣に指示を与えることができる
○ 各地の優秀な人材を自由に登用でき、その働きに応じてより高い身分へと取り立てることもできる
○ 軍備が整ったと判断したら、自らの意思で他家へ攻め込むことができる
○ 謀反を起こすことも可能


藤吉郎
---わしもいよいよ家臣を持つ身となった。しかしその分、責任も増しておる。織田家のため、これまで以上の貢献が求められよう


軍団長を任されていた頃とは違う
名実共に、木下藤吉郎軍団が誕生したのだった


波多野家を攻略

城主となってから一年、藤吉郎は軍備の増強に余念がなかった

洲本城では、内政面・軍備面共に不十分な状態だったが、じっくりと内政から取りかかっていては織田家の破竹の勢いに乗り遅れてしまう

ここはあくまで中国・四国地方へと進出するための軍事拠点と割り切り、他の城主が目まぐるしく動く中、ひたすら軍備を整えていたのだ

そして、1573年8月

藤吉郎は、丹波国を支配する大名、波多野家最後の拠点となった八上城へ向けて出陣した

軍備を充実させ、機会を窺ってはいたものの、これまで城を落とすことはできなかった。他の城主らもなかなかに優秀で、藤吉郎の軍団が目標の城へ到着する前に落とされてしまっていたからだ

藤吉郎
「これが波多野との最後の戦じゃ。ここで城を落とし、我らの武名を轟かせるのじゃ!」


波多野勢は決死の覚悟で抵抗してくるだろう
しかし、事前工作によって城の防御力は低下させてある。勝機は十分にあった

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数日間の攻防戦の末、八上城は陥落
波多野家は滅亡した

洲本城へと凱旋した藤吉郎は、家臣らが大きな戦果を上げたこと、そして、城主として初めて貢献できたことなどを思い、胸をなで下ろすのだった


愛の武将

波多野家攻略の後、藤吉郎は国主に任命された。ついに、大名に次ぐ最も高い地位を手に入れたのだ

しかし、複数の城を任されるとなれば、今のままでは人手が足りない。更なる家臣団の充実を考え、行動を開始していたところに、忍からの報告が入った

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上杉家の武将、直江兼続・・・

藤吉郎も噂には聞いていた。越後の龍、上杉謙信の養子である景勝に幼少の頃より仕えており、清廉潔白なる人柄であると

有力な家臣を抱える上杉家中にあって、若輩の身でありながら既に噂となっているのだ

藤吉郎
---我らが西国を手中に収めた後は、上杉とも戦うこととなろう。じゃがこの男、乱世の中で失うには惜しい逸材かもしれん


気になる男だった
藤吉郎の直感が、「ただ者ではない」と告げていた

しかし、兼続は上杉家臣団の一員。今すぐどうこうできるものではない。まずは、各地に埋もれている人材を探し出し、配下に加えること。それが急務だった


薩摩隼人を取り込め

藤吉郎は、九州地方の南端、鹿児島の町を訪れていた

薩摩国を拠点とする島津家は有力な大名だったが、豊後国から侵攻してきた大友家によって滅ぼされてしまったのだ

当主、島津貴久は斬首となったようだが、家臣の多くは大友家には降らず、解放されて鹿児島の町に住んでいるという

藤吉郎はまず、貴久の嫡男、島津義久に面会

茶の湯に造詣の深い義久は柔軟な思考を持っていた。同じく茶道に通じている藤吉郎とは話が合うらしく、程なくして、義久を登用することに成功した

その後、島津四兄弟の残り3人も含め、島津家の誇っていた有力家臣をほぼそのまま取り込むことに成功したのだった

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戦力が増強された木下藤吉郎軍団の初陣

引き続き、中国、四国、九州地方へ・・・
織田家の勢力拡大、信長の野望は続く


<つづく>

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