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Dのねぐら


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太閤5:サルがゆく・終

下記の物語は、(株)コーエーが発売した「太閤立志伝V」(Windows版)のプレイ記録に基づいて綴られています

保存した画像と覚えている範囲内で綴っているため、内容が飛び飛びになっていることがあります
また、史実とは異なる行動を執れるため、主人公の性格も含めて多分にフィクションが含まれています


最後の出陣

1583年12月、北条家に従属していた結城家を滅ぼした藤吉郎は、関東地方の各城を攻略するため、江戸城を拠点とした

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元々、規模の大きな城のためあまり手入れをする必要が無かったことに加え、残る北条方の城へ素早く進撃できることが、ここを拠点とした理由だった

藤吉郎
---他の国主らも北条攻めに掛かっておる。遠方から出陣したのでは、先を越されてしまうからのう


事実、他の軍団も積極的に動いていたため、関東地方の制圧は予想よりも早く進んでいた
そんな中、藤吉郎は北条に対し、最後の戦を仕掛ける機会が訪れるのを待っていたのである


やがて・・・

1584年4月、藤吉郎の率いる軍団は江戸城を発し、上野国の館林城へ向けて進路を取った

北条家が所有する最後の城、館林城
藤吉郎はここへ一番乗りするつもりだったが、丹羽長秀の軍団に先を越されてしまっていた

だが、「ここで長秀殿を助けるのも悪くはない」と、藤吉郎は思っていた
まだ城主として未熟だった頃、城攻めの際に率先して援軍を送ってくれたのが、長秀だったからだ

藤吉郎
---この戦に勝利すれば、ついに信長様の天下じゃ。この時をどれほど待ち望んだことか・・・
---今しばらくお待ち下され。必ずや、長秀殿とこのサルめが吉報を持ち帰りますぞ


道中、込み上げてくる思いを、藤吉郎は必死に抑えた。いかに有利な状況であろうとも、戦が終わるまで油断は禁物
まだ侍に取り立てられてから日が浅かったあの頃、桶狭間で学んだことだった

藤吉郎
---今なら、あの時の義元殿の無念さも、分かるような気がするのう



雨が降りしきる中、館林城の姿が藤吉郎の目に入った
長秀の軍団は大手門を突破し、既に城内へ侵入しているようだ

藤吉郎
「急ぎ、丹羽軍団と合流せよ!共に北条を討ち滅ぼし、戦乱の世を終わらせるのじゃ」


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戦況は、織田方が優勢ではあったものの、受けた損害も大きいようだった

北条方は何とか持ち堪えていたが、そこへ藤吉郎率いる1万6000の援軍が到着
城兵の士気を削ぐには充分だった

城門を攻撃しつつ、計略を用い、さらに敵の士気を削いでゆく
統制が取れなくなり、次々と潰走する北条方

間もなく、館林城は落城し、北条家は滅亡した


信長の天下、その後で

尾張の百姓の出でありながら、侍に取り立てられ、織田信長の天下統一事業に貢献した木下藤吉郎

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その優れた能力から、織田家にとって無くてはならない存在となっていたことが窺える

「一国一城の主」それ以上の大きなものを、手に入れたに違いない


さて・・・

稀代の風雲児、織田信長が天下を統一した後、この国はどうなっていったのだろうか
幸いにも我々は、後の歴史家が記した断片的な史料によって、その様子を垣間見ることができる

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太閤立志伝Vプレイ記録「サルがゆく」

おわり

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