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Dのねぐら


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太閤5:サルがゆく・5

下記の物語は、(株)コーエーが発売した「太閤立志伝V」(Windows版)のプレイ記録に基づいて綴られています

保存した画像と覚えている範囲内で綴っているため、内容が飛び飛びになっていることがあります
また、史実とは異なる行動を執れるため、主人公の性格も含めて多分にフィクションが含まれています


藤吉郎、家老となる

1569年5月、岐阜城内では評定が開かれていた

まず、主君信長より前回の主命達成状況が伝えられる
低い成果しか上げられず「力不足」とされた者はまだ良い方で、最悪の場合、「論外」とされることもある
結果が振るわなかった者にとっては恐ろしいことこの上ない

しかし、既に有力な家臣の一人として数えられるようになっていた藤吉郎にとっては、恐ろしいどころか楽しみな一時であった

この時の藤吉郎の評価は「上出来」
十分な高評価だったが、明智光秀の「天晴れ」には及ばなかった

藤吉郎
「さすが光秀様じゃ。わしももっと精進せねば・・・」


文武に秀でた光秀の働きぶりは見事なものだった。腕組みし、改めて感服していると、突然、信長の声が藤吉郎へと向けられた

diary091123_1.jpg

ついに・・・家老となった

家老ともなれば、合戦の際に軍団長を任されることもある
それだけでなく、城主や国主に任命される可能性もある

織田家にとって無くてはならぬ存在と認められた瞬間だったが、足軽組頭に取り立てられた時のように舞い上がったりはしない

あの頃の身分とは違うのだ

評定が終わり、自宅へと戻る途上で改めて喜びを噛み締める
農民の出である藤吉郎にも、ようやく「一国一城の主」が見えてきたのだった


撫養(むや)城を攻略せよ

1569年9月、藤吉郎は四国地方の阿波国へと向かっていた

これは、今までのような一人旅ではない
その後ろには、4名の武将と、総勢1万6000の兵を引き連れていたのだ

diary091123_2.jpg

今月の評定・・・

信長は、四国へと逃れた三好家を追撃するため、その足掛かりとして阿波国の撫養城を攻略することとした

ここはさして堅固な城というわけではない
そこで、藤吉郎の手腕を試すには丁度良いと考えたのか、軍団長に任命したのだ

無論、万が一、城を落とせなければ兵や物資を浪費することになるため、光秀や勝家といった重臣を付けることも忘れなかった


9月5日、藤吉郎軍団は撫養城を包囲した

diary091123_3.jpg

半兵衛の言うとおり、兵力的には織田方が優勢
城兵の士気は高いものの、城門はそう長く耐えられるものではないようだった

藤吉郎
「大手門を落とせばすぐ本丸じゃ。弓矢などは気にせず、素早く門を破壊せよ!」


果たして、この戦が藤吉郎の力量を測ることになったのかどうか・・・

撫養城の規模は小さく、あまりに脆すぎた
大手門を破壊して城内へと雪崩れ込んだ織田方は、続いて本丸の門を壊しに掛かった

やがて、三好方がまともに反撃もできないまま、城は落ちた


意気揚々と岐阜城へ凱旋する藤吉郎軍団
勝って当然の状況ではあったが、とにかく藤吉郎は軍団長として初めて臨んだ戦に勝利したのだった


<つづく>

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