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Dのねぐら


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太閤5:サルがゆく・2

下記の物語は、(株)コーエーが発売した「太閤立志伝V」(Windows版)のプレイ記録に基づいて綴られています

保存した画像と覚えている範囲内で綴っているため、内容が飛び飛びになっていることがあります
また、史実とは異なる行動を執れるため、主人公の性格も含めて多分にフィクションが含まれています


出雲の阿国

1560年5月下旬、所用で堺の町を訪れていた藤吉郎は広場に人だかりができていることに気づき、足を止めた

町の者に尋ねると、出雲国からやってきた者たちが「傾(かぶ)き踊り」を舞っているのだという

藤吉郎
---「傾き踊り」・・・?
聞いたことがないが、どれ、ちょぃと見ていくとしようか
用事も済んでおるしな


diary091103_1.jpg

衣装も含め、随分と傾いた踊りだった

だから「傾き踊り」というのだと、阿国という女人は教えてくれた
なるほど、ここまで艶やかなものであれば民が熱を帯びるのも無理はないと、藤吉郎は納得した


阿国らと別れ、藤吉郎は尾張への帰路を急いだ

それは次の評定までの期間を有意義に過ごすためだったのだが、ちょうどその頃、大いなる野望を伴った軍勢が進軍を開始したところであった


風雲、桶狭間

1560年6月、清洲城内は「今川義元、尾張へ向け進軍中!その数およそ2万5000!」の報せに揺れていた

「海道一の弓取り」と恐れられた今川義元がついに大軍勢をもって攻め掛かってきたのだ

今川軍は手始めに尾張国境近くの鳴海城を陥落させる
そのまま尾張全域を飲み込まんとする勢いである

対する織田方が直ちに動員できる兵は5000ほど・・・
兵力の差は歴然、まともに戦っても勝ち目がないことから重臣らの意見は割れていた

籠城するか、打って出るか・・・

当主信長も圧倒的不利は承知していた
他に援軍のあてもなし、ここで籠城すれば座して死を待つのみである
とは言え、不用意に打って出れば大軍に蹂躙されるだけだろう

信長は幼少の頃より尾張国内を駆け巡り、その地形を熟知していた
戦となった場合に、いかにして戦うか・・・

大人しく首をくれてやるつもりなどない
出陣の機会を窺っていた信長にとって、この場での議論など意味をなさなかった


信長はその場を去り床に就いたが、数時間後、伝令の報せを受け、跳ね起きる
今川軍が各地の砦に対し攻撃を開始した・・・となれば、兵力が分散されていることになる

出陣の好機と見た信長は幸若舞「敦盛」を舞った後、身支度を調える
 
信長が城を出たのは明け方頃。慌てて家臣らもそれに続く

城内が喧噪に包まれる中、藤吉郎は自分の名を呼ぶ声に気づいた・・・ねねである

藤吉郎
---わしは・・・ここで死ぬかもしれん


その思いが頭をよぎると、もはや身分など気にしていられなかった

命を散らせることになっても、悔いが残らぬよう・・・
けれど、もしも生き延びることができたなら・・・

無事に帰ってくることができたら、夫婦になってほしい

決意を秘めた言葉に、ねねが頷く
藤吉郎はそれを見届けて、出陣していった

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昼過ぎ・・・突如、豪雨が降り始める

天は信長に味方したのか・・・
今川軍本隊数千は、身動きの取りづらい桶狭間の地にあった

負ければ後がない織田勢は猛然と攻め掛かり、突然の襲撃に今川勢は大混乱に陥った
退却しようにも、敵味方が入り乱れる乱戦となっては兵の統率もままならない

やがて、今川義元は討たれた
織田方は劇的な勝利を収め、総大将を失った今川方は駿河へと引き返していったのだった

清洲城へと凱旋した藤吉郎を待っていたのは、ねねのはち切れんばかりの笑顔だった。身体を寄せ合い、温もりを感じ、藤吉郎はようやく生きていることを実感した

藤吉郎
---わしは、必ずねね殿を幸せにしてみせる


それからしばらくの後、前田利家やその正室まつらが見守る中で、二人は結ばれたのだった


墨俣に城を築け

1561年、信長は斎藤家攻略を画策していた
美濃侵攻の足がかりとして墨俣の地に城を築こうとしていたのだが、佐久間・柴田ら重臣に任せても失敗続きであった

それもそのはず、敵の目と鼻の先に城を建てているのだから、これは「どうぞ襲ってください」と言っているようなものだ

そこで藤吉郎が任命される
かつて諸国を放浪していたため、藤吉郎にはあちらこちらに知り合いがいる。今回は、美濃の蜂須賀小六を頼るつもりだ

1561年5月

打ち合わせ通り、小六は墨俣の上流で揃えた材料を筏(いかだ)に乗せて流してきた
あとはこれを組み立てるだけだ

とは言え、完成までにはいくらか時間を要する
その間の襲撃には備えておかねばならない

藤吉郎が気を引き締めているところに伝令がやってきた。どうやら斎藤の軍勢が迫ってきているようだ

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襲撃してきた軍勢は、藤吉郎方と同規模のものだった
ならば、いかにして隙を衝くか・・・

藤吉郎
「敵が川を渡っているところを狙い撃つのじゃ!」


藤吉郎は対岸から弓矢が届かない位置に各備を待機させた
足軽隊は水上から矢を放つことはできない。また、足場が悪いため攻撃を受けた際の損害も大きくなる

そこを狙い撃つ作戦だった

先に川へ入った敵備から順番に攻撃を加え、兵力を削いでゆく
そして総大将の一番備が川に差し掛かったところで、そちらに攻撃を集中させる

敵の一番備は兵士数が多かったため少々手こずりはしたが、無事、退けることができた

やがて城は完成し、藤吉郎は築城の任を見事成し遂げたのだった
蜂須賀小六も功績を認められ、名を正勝と改め、藤吉郎の配下となった


それからしばらく後、竹中半兵衛や美濃三人衆といった家臣らが当主斎藤龍興を見限り、織田家へ寝返る事態が発生した
弱体化した斎藤家はろくな抵抗も出来ずに滅びたのだが、ここでも藤吉郎の働きがあったことは言うまでもない


<つづく>

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